蟲師

100年前、日本には「蟲」と呼ばれる妖しき生き物がいた。それは精霊でも幽霊でも物の怪でもない、生命そのものであり、時に人間にとりつき、不可解な自然現象を引き起こす。蟲の命の源をさぐりながら、謎を紐解き、人々を癒す能力を持つ者は“蟲師”と呼ばれた。   ――公式サイトより

観てきましたよ、映画・蟲師
実写はどうかとも思ったですが、自然も綺麗だったし、淡幽お嬢さんも綺麗だったし、タマさんは脳内イメージにぴったりで、案外良かった。ギンコは、最初の俯き加減で伏し目がちなあたりがおどおどしてるっぽくてアレだったけど、それ以降はさほど違和感なかった。
服とか笠とかギンコの背負子とか蚊帳(?)とか、小道具類が良く出来てて、妙に惹かれる。屋敷とか蔵とか小屋とか、大道具類にもちょっと惹かれる。
以下、内容に触れるので隠します。要反転。

虹郎大活躍。
一話だけのゲストキャラみたいな兄さんが、あんなに活躍するとは思わなかった。いいやつで良い。コロコロ呼ばれて犬じゃねぇとぼやいてるところは可愛かった。虹蛇もとっても綺麗で良かったです。
――が。
ヌイの扱いが釈然としない。好きなキャラなのに。あれは違ぁう! と、叫びたい。
後半の、実は生きてたあのあたり――ヨキに執着してるあの辺は、ちょっと受け入れがたいです。
ヌイはあの池のほとりで、トコヤミとギンコを見つめながら、旦那と子供への愛情を糧に諦念と覚悟を育てていたのに。
ヨキといると、手放したはずの望みが頭をもたげてくるから辛いんじゃないの? ヨキを求めるのはもう全然違う。
ヨキの温かさは懐かしい温かさなんだから、求めるとしたら自分の子供で、ヨキじゃない。そのへんを見誤るような女性じゃないでしょう。
皆、それぞれがあるがままにあるだけ――って、ヌイの最期の在り方はこの一言に集約されると思うのですが、これじゃあ全然合わないよ。シリーズ全体の根本のテーマがコレだろうってくらい良い言葉なのに、台無し。
あとねぇ、眼を喰われる時は血じゃなくて闇でしょう、と思った。ヨキがギンコを見た目玉は、残った方じゃないし。
それから、淡幽お嬢さんに憑いている、まだ文字になってない禁種の蟲。あれって暴れさせちゃっていいものなの? ましてや、あんな風に体外に出しちゃって……えええ???
その時タマさんが言ってた「愛玩物」って、禁種の蟲を指してるように聞こえたんだけど、違うよね? お嬢さんが飼ってるのは紙魚でしょう。
まあね、映画は原作とは別物だから、それくらいの違和感はどうでもいいと言えばいいんだけど。映像綺麗だったし。でも……ぬい〜(泣)
そのうえ、原作既読なのにラストが意味不明ってどうなのか。
「100年前の日本」って、時間と場所を限定する意味もさっぱり分からなかったし。

という感じで、雰囲気は悪くなかっただけにいろいろ残念。